わたしの「仕事」は、なんだろう?(一)朝
その庭は、ひとひとりが通れるくらいの、緑のアーチがあった。
入り口、というよりは、開口部。木々の間に、ひとが通り続けてそのうち入り口になった、とでもいうような。
ゆるり垂れ下がる小さな木片に目をやる。
"open" 。
アーチをくぐると、やわらかに風が吹いた。
緩やかな小道を歩む。
ふと金木犀の香りがした気がした。
波のかたちをした横長の木片には、問いが掲げられていた。
「わたしの『仕事』はなんだろう?」
を、めぐる、歩む、ある一日の神話。
Ecstasy cannot be taught.
All that can be done
Is to prepare the meal, lay the table
And wait for the guest to arrive.
エクスタシーは、教われない。
できることといえば
食事をつくり、食卓を整えて、
ゲストが現れる、ただそれを待つのみ。
Richard Rudd - "Gene Key 46.1"
第一章
久々の青空だった。庭からつづく、高い秋の空を見上げる。白い雲が、ゆっくりゆっくり流れていく。
投げ出した足を、身体を、風がやさしく撫でていく。甘いカツラの、メープルみたいな匂いがした。盛りを越えた庭の緑、先陣を切る山法師は、もう葉が半分ほど。秋分まで一週間の9月の庭は、すっかり早い秋の訪れだ。
持ってきたカップには、アッサムのソイミルクティ。
「いつもここに座るんだ」
大きな欅の木の根元に座って、彼女は言った。
なんて「木」らしい形の木だろう。のびのびと伸ばしたその体躯、太い幹の根元。その横に、わたしも座った。
いつかの朝の景色
自分を変えないとって、思っていた。新しい生計の立て方を創り出さないとって、これまでずっとやってきたクライアントワークやコーポレートな世界では無い、何かを…。
「最近ずっといそがしくて追われていたんだ。でも、昨日はゆっくりできて、明日からはまたクライアントワーク。今日は、no pressure で、遊び感覚で、自分に潜っていきたいなって思うよ」
「そっか」と、彼女は言った。
「それで、」
彼女はお茶をひとくち飲んでから、言った。
「ねえ。ちょっと目を閉じて、いつかの朝を思い浮かべてみて。いつかは決めなくていい。目が覚めた瞬間に『ああ、これこれ。この生活だ』って、身体が深いところで「わかっている」、そんな朝。その朝を、その一日を、景色として見せて」
目を閉じた。
気持ちの良い環境、広い空間、気になる目線がない、視界が開けている。空が見えて、緑が見える。鳥の声が聞こえる。日の出くらいの時間。穏やかさ。Serenity. Peace.
午前。庭の手入れをしたり、何かを言葉にしたりカタチにしたり。オンラインで誰かの話を聞いているかもしれない。急かされることはない。時間に追われない。予定に追われない。Pause(ひと息の間)を取って、お茶を飲む。縁側から外をただぼーっと見ている。木々が揺れる。鳥が来る。手紙をかくかもしれない。
この手は、側で眠る犬を撫でたり、パートナーに触れたり、木とか、自然物に触れている。
パートナーとは、互いのスペースでそれぞれ自由にやっている。彼は庭と一体化した離れの小屋がある。広いひさしの、まるで外、な空間もあって、雨でも外にいられる。私も天井が二階分くらい高くて、開口部が広い、小屋的なものがあると良い、でもこれは、母屋と繋がっている。
お金?、…わからない。けど、「不安」がない。生きていくこと、食べていくことへの不安に覆われて自分を見失う、ことはない。自分の時間を「稼ぐ」最優先にしていない。
夜。穏やかに一日を摘み取る時間がある。穏やかに、生きていることを愛する時間がある。
目を開ける。木漏れ日が眩しい。彼女は、急かさなかった。カップの中が、すこし減っていた。
「その朝。そこから、いまの日々を眺めると、一番遠いのは、どこ?」
あ、ちょっと待って。
奥から、湧き上がってくるものが続いた。
なにかが、生きる営み、食べる、紡ぐ・編む(言葉も他も)、彩る、驚く(wonder)、味わう、愛おしむ、泣く笑う悲しむ喜ぶ驚く怒る、語らう、聴く、つくる、踊る、うたう。
誰かのカタチのマネ、ではなく、自分の奥から、湧きいでるように、表現されている。
大いなるもの、ユニバースと繋がっている、信じている、委ねている、揺蕩っている。
そして、どこかで、これは願いだけれど、人々が、特に、自分を見失ったり、輝きが覆われていたり、愛を感じることが難しく、心が閉じている人が、どこか、愛を感じて、開き、安らげる、そんな癒しの存在になれたらと、そういう感じに何か出来ればと、願っている。
「動詞の雨だね。最後の願いも、ちゃんと聞こえたよ。前もなんか、聞いたことあったかもね。
…じゃあ、さっきの朝、を、今ここから見つめるとき。今この日々で、一番遠いのは、どこ?」
仕事に追われるか、不安に覆われるか
すこし、考える。
仕事に追われている、は現状で、イコール、食べていくことへの喫緊の不安は無い。
けれど、これはもうすぐ終わる。「その後」は決まっていない。不安が覆ってくる。仕事に追われているか、不安に覆われているか、この二極だ。その間も、もちろんあるのだけれど。
「その『間』は、二極のどちらでもない、第三の状態なの?」
いや、「間」って言ったのは、その二極の間を行ったり来たりする振り子が、その「間」にあるということ、だと思う。
たぶん、唯一感じられたかもしれないのは、クライアントのこと、ではなく、「わたしのこと」をやるんだと、意気込んで「MARIPOSA」のブランドとサイトを作って、リーディングトレーニング受けて…、って、やってみていたとき。
でも、今思うのは、違う「装置」を他者のやり方で作り上げていたのだと思う。つまりは、振り子の中ではあったよ。
「締切とか、依頼主とか、報酬とか。『装置』が回ってるあいだだけ、不安が黙るやつね」
いつか言ったわたしの言葉を彼女から聞く。
そう。つまりは、本当の第三の状態は、わからない。
「わからない」。声に出して言ってみた。
風が少し吹いて、木々の向こうの青空がカタチを変えた。
身体はすでに、知っている
「そっか」と言って、両手で包んだカップを見たひと息のあと、彼女は静かに続けた。
「前にさ、踊りの話、してたよね。あのフレーズも、なんかいいなって。0と1の、なんだっけ」
"Eternal dances in the space between 0 and 1 . / 0と1の間の、永遠を舞う。"
口にすると、どこからか笑みが漏れた。
「そうそう、それ。ねえ、踊っているとき、マインドがいちばん静かかも、って、言ってたよね。あの時間、あの数分のなかに、「追われ」、はいる?「不安」は?」
踊っているとき。
ない。
たとえば音楽、たとえば言葉や概念や想像。身体と、動的な連続としての、生命力とか鼓動とか血液とか躍動とか、が、それに乗って、ともにダンスしている、ピュアな状態。
あそこに、振り子は、いない。
「うん」と彼女は頷いた。「だったら、第三の状態は、未知の国ではないのかも。身体は、もう知ってる。まだわからないのは、それが分の単位じゃなくて、人生のサイズになったときの、姿だけ」
お茶は、もうすっかりぬるくなっていた。
黒いインクと脱ぎたい装置
「ね、想像の実験。いま、踊ってる。あのピュアな状態の中にいる。乗ってる。…そのままの状態で、すーっと「生計の領域」に足を踏み入れていくところを、想像してみて。たとえば、その舞いを誰かが見ている。たとえば、それに値段がつく。たとえば、それが「あなたの仕事」と呼ばれる。
最初に、何が入り込んでくる?」
黒いインクが、透明な水のなかに入ってきてびゃーっと広がる、って感覚。
雑音が聞こえる。「仕事」っていうことばを再定義するか、その言葉じゃないものにしたい衝動。値段、怖い。
「インクは薄めても透明には戻らないもんね」
彼女は間を十分に取ってから、続けた。
「『値段、怖い』。値段って、『あなたは enough か?』『これに値するのか?』って、数字で突きつけてくる装置とも言えるよね。」
本当にそれ。「価値」を突きつけてくるその怖さ。これを脱ぎたい。突き上げるくらいに、そう強く感じる。I hate it.
突き上げるその強さを感じ切ってから、彼女に伝えた。「たぶん、「仕事」って呼んでいる「それ」の姿が、ちゃんと見えるようにしたい。その上で、要素分解していく?のが良さそう。」
仕える
持ってきていたスケッチブックを、膝の上にひらく。クレヨンの箱から、黒を取る。まんなかに大きく、
「仕事」
と書く。
しばらく、じっと見る。
うーん。これは、異和。
書き足したい衝動。
それは、「しごと」。
それは、「仕・える」。

「仕える」。と書くと、自然に問いがふたつ、立ち上がってきた。
to whom? 誰に?
to what? 何に?
誰に「仕える」?
わたしはいつだって、「友人」と感じられる相手のために、やってきた。フリーになって16年、これは変わらない。純度、高い。「友人」と感じられないところに来ると、ことが変わる。終わってしまう。友人の向こう側に誰がいるか、は、あまり重要でない。
その友人たちの繋がりは、すべて、2010年に端を発している。あるひとりの人物をフォローして、そこからすべてが開けた。中心となるコミュニティの存在が失われてからも、その繋がりの中で、仕事を頂き続けている。大切な友人たちが、ずっとわたしの生計を可能にしてくれている。
でも、その岸辺はいま、かたちを変えようとしている。友人であることは、変わらない。でも、きっと、もう同じではいられない。それも、分かっている。
貼っていった付箋の、紫の側に、こうあった。
「そして誰もいなくなった」
なんか、笑っちゃう。でも、たしかにそんな感じなんだ。
企業は今もそこにある。でも、真にやり取りしていた相手は、転職したりで、いなくなっていく。法人格というのは、概念の存在。なんかどこか、虚しさを感じていた。もちろん、大きな体でしかできない、大きなことの価値も、よく分かっている。そして、その上でこその豊かさを享受している身であることは確かだった。
ただ。
It's not for me anymore.
「うん」と彼女は言った。
これから、誰に、そして、なにに、仕えたいのか。
もう一度、今度は「仕えごと」として観てみる。
コーポレートワールドに紐づく「誰か」ではなく、「個人」。このユニバースに、この地球に、今を生きている、vulnerableで儚くて、でも、愛である「ひとりひとり」の、「今このときの繋がり」に、仕えられたら。
それは、とても幸せだと感じられる。
何に、仕えるのか。
社会でも、資本主義でも、経済を回すこの仕組み、でもなくて。もっとおおきなおおきな、自然や宇宙の仕組みのなかで息づく、存在の集合体に。それぞれが、無理することなく、自然に生きられるように。人にも、動物にも植物にも、地球にも、無理無きように。それぞれが、のびのびと、愛を持って生きられるように。ということに、仕えたい。
言い終わると、ふううううう、っと、息を吐いた。頭の上で、欅の葉のさわさわが聞こえて、横からもうひとつ、彼女のふうううう、が聞こえた。
「しごと」
「そっか。これまでも、これからも、『誰に仕えるか』は変わらないんだね。
さっき、『仕えごととして観る』って言ってたね。『仕えごと』って、もう一度声に出してみて。身体はどんな感じ?」
「仕えごと」、そう声に出すと、いつものあれが浮かんできた。
気になる言葉に出会うと、語源を知らずにはいられない。日々の言葉は、仕事や社会や業の色。近代化するもっともっと前の、人間がもっと根源的な営みをしていた頃、そのことばが表現しようとしていた概念。それを知ると、なんだろう、わたしにとっては、歓びの喚起なのだ。
「掘ってみる?」
伝わっていた。欅の根元、やわらかい土を、手でそっと掘る。この庭の地面の下には、ずっと昔から人々が使ってきたことばの根が、繋がって埋まっている。
ことばは、太古の祖先の鼓動みたいなもので、自分の奥深く深くにある景色でもある。どこか懐かしくて切なくて、甘くて苦しい、ロマンス。還っていけるんだ。繋がりへ。
指先に、根が触れる。「しごと」の下には、根っこが、深さをちがえて、三本あった。
まず、浅いところ。まっすぐで、すこし硬い根っこ。いちばん新しい。千五百年ほど前に、海を渡ってやってきて根付いたこ、「仕」。にんべんに士。触れてみると、そこに景色が広がる。官に就く。制度に、お上に、仕える。この根っこは、字の皮をかぶっている。この皮をかぶった姿が「仕える」として、そして「仕事」になって、いまの地上に生えている。
もう少し掘り進む。もっと深く。根っこに皮はもうない。そこに触れると、裸の音が鳴り響いた。
「つかふ」
聴こえる。この音の世界では、使うも仕えるも、まだ同じ、ひとつのことばだった。自分の可用性を、選んだ相手に向けて開いておく、能動的な差し出し。誰に開くか、選んでいるのは、仕える側なのだ。使、仕、というふたつの皮は、ずっとあとから、別々に着せられたものだった。
響きに呼応するように、問いがくぐもった音を出す。「to whom?」。制度への奉仕なら、相手は決まっている。問いにならない。差し出しだから、誰に、が問いになる。
内なる響きに手を当てる。どこか、呼ばれている気がしていた。
さらに深くへ。
指先が、太い、岩盤のような根っこに触れた。
す。する。し。
それは、音ではあるけどもっと野性的で、そう、鼓動のように、身体の奥の奥に響いていた。
字が生まれる何千年も前から、祖先の間で交わされていた音。この大きな根っこの上に、数えきれないことばが枝分かれしていっている。
そうか。奥深くに、どんっと、鼓動。しごと、し、こと。すること。なんとシンプルなことだろう。「すること」。
次の鼓動、その一拍で、陽だまりの温かさが広がる。大事な人たちとの日々の営みが浮かんで、庭の緑に風がそよいだ気がした。すること、が、合わさる。ともに、する、が、「しあわせ」だったんだ。しごとと幸せは、この深い根っこを、同じ親に持っていた。
内なるどこか深いところにあった「それ」を感じ入っていると、なにかが呼応するように聴こえた。音のするほうに手を触れると、そこには細い根っこ。耳を澄ます。
「いつく」。
のちに「斎く」と漢字を纏ったそのことばは、初めて聴いたものだった。その音は、わたしの頭上高くに神を現し、身を清めて仕えることを伝えて、その微笑みが、いつくしむ、であることを知った。慈しむ。今この心に広がる「それ」が、同じものであることを知っていた。聖なるものに仕えることと、大切に愛おしむことは、同じ根っこから生えていた。
斎く。知らなかった。だけど、概念としては、たしかに自分のなかに在るものだった。古来からことばがあったんだ。内なる深い深みで、古来から続く人間の鼓動が、たしかに今も脈うっていた。
ぐるぐるっと、なんだか一周をして還って来た気がした。目を開けると、眩しかった。目を閉じていたことに気がついた。
土を、そっと戻す。
おかえり。
両の手には、わたしの「しごと」が、乗っていた
すること。わたしが、すること。
開かれた慈愛の心で、わたしが、すること。
これまでと同じように、これからも。
だけどこれからは、自分のことばで。
愛のある関わりのなかで、相手に向けて開いておく、そういう差し出しとして、わたしがすること。
それがわたしの「しごと」だ。
「うん」と彼女が言った気がした。12時の鐘が鳴った。



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