わたしの「仕事」は、なんだろう?(三)夜
第三章
捉え直し
まだドキドキしていた。
「なる」ことは、「来る」ことであり「受け取る」こと。
そしてその語族には、冒険、歩み、土台、踏むこと、などがいる。
土台、キタ。「foundationを築くこと」は、わたしのライフワークの、大事なアプローチのひとつ。
そうか、foundation / 土台・基盤、と聞けば、どこか「止まった状態」に固定化していたけど、「歩んでいること」自体が、わたしのfoundation、であるのかもしれない。
身体の奥から、なんだかまた自由になる感覚、きっついブラが外れてやっと息ができる、みたいな感じ?
…感覚を言葉にするのはむずかしい。
「自分は、自分を生きているよ」、と、声に出た。
自分は自分を生きている。
ただ、自分のことばで、その営みを捉えられていなかったというか、他者の物差しで測っていた、という感覚。
捉え直しだ。
そうか。そういうことも、あるのかもしれない。
つまり、自分を変える、という大きなムーブが必要なのではない。
変化が起こるのは、自分の捉え方、自分の見つめ方。
そもそも、だ、そもそも、自分、わたし、とは誰か、そして、そのわたしを見つめているのは誰なのか。ぐるぐるぐる。混迷しそうになって、声が聴こえる。
「そっか、『foundation を築く』って、揺るがぬ地盤を完成させる、とかじゃないんだね、踏むたびに、踏んだ分だけ、土台になっていく。」
ほぅ、っと、息を吐く。
さわさわさわ、と、夜風が脚に気持ちいい。
窓辺に座って、3本杉の木立の遥か向こうに光る北極星を見上げながら。
さわさわさわ、と、彼女の声がする。
「変えるんじゃなくて、捉え直す。自分を変えようとしなくていい。これって、大事にしてることだよね、その目線はいつも『相手』だったとは思うけど。」
さわさわさわ。
人間関係での大きな学びは、いつしか自分の中に刻まれた。「人を変えようとしない」。ファシリテーターとしても、とても大事なことだった。
でも。それが「自分」に向かったことは、あっただろうか。
自分を変えようとしなくていい。 必要なのは、捉え直すこと。
必要なのは、 「わたし」に耳を傾けて、その声を聴くこと。
そこにあるものを、「わたし」を、見つめること。
それは、愛。愛をもって、「わたし」に接すること。
傷ついた親友の側に、ただ座って、そうするように。
外にある声でなく、「わたし」の声を聴く。
そして、「わたし」のことばを紡ぐ。
これは、「わたし」という、道なき道を、歩むこと。
わたしの『しごと』は『becoming』。
愛を持って、わたしを見つめ、わたしを聴く。
不調和に気づいて、解き、手放して、
一歩一歩、私は『わたし』になってゆく。
エピローグ
ほう、ほう、ほう…
遠くから、フクロウの声がする。
北極星、瞬き、暗闇、目を閉じる。
ほう、ほう…
秋分を過ぎて、夜の風はひんやり脚を撫でる。
きゅううぅ、っと、胸が呼んでから、奥の方で、遠い太鼓の音がし始める。
それはいつしか、音になり、
それはいつしか、ことばになった。
する。あう。なる。
心を澄ます。
それは、鼓動だった。
太古からつづく、人間の営み。
する、あう、なる。
無数の「する」、数多の縁の内に「あう」、やがて「なる」。
ぐるぐるぐる。円環。火を囲み、ぐるぐると周囲を周り、舞を踊る、太古の鼓動。
する。あう。なる。
胸に手を当てて、フクロウの息を吸い込む。杉の木々の、栗の木々の、虫たちの、無数の微生物たちの、息を吸い込む。
I am the one, I am all.
遠く響く鼓動に乗って、ゆっくりと目を開く。
杉の木立、三本のその向こう、遥か北極星のポラリスが、太古の光に揺れていた。



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