名のない骨壷
- 3 日前
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その骨壷を見つけたのは、叔父だった。
Amazonだかの段ボール。台所の戸棚の中。
実家となった祖父母宅が取り壊される直前、その最後の日。
祖父母宅には、一階に祖母が、二階に父と妹とが住んでいた。
2019年の母の死から始まった二世帯3人の暮らしは、22年元旦に父が、23年初夏に祖母が亡くなって、以来、妹が一人、猫と暮らしていた。
当時の新興住宅地に祖父が建てた平屋は、60年近くの歳月に増築を重ねたからなのか、基礎から傾いていることが判明して、取り壊しが決まった。
3人分の遺品整理は、それは大掛かりであった。
しかも。
父のそれは、おそらく立派な「収集癖」。
よくあるシルバーのラックに、天井まで積み上がった段ボールたちに囲まれて、父は暮らしていた。
あらゆるサイズのゴミ袋、いやポリ袋が揃い、全ての物品にストックがあるのではと思わせた。趣味だったNゲージは、売ったら7万円になった。20箱以上あっただろうか。
そこに、母の遺品に、祖母の遺品。
合わせてわたしたち3人妹弟の色々、と相まって、遺品処理業者の見積もりは150万を超えた。
解体までの1年(2年?)、何度となく遺品整理に出向いた。
けれど、なんでだろう。
やり切れなかった。
後悔のないようにと、思っていたのに。
妹の生活スペース以外は、時が止まっていた。
空気が重くて、どれほど開け放していても、どこまでも重くて、結局は長く居られずに、予定より早く切り上げ帰ってきてしまうのが常だった。
やり切れなかった。
Time's up.
あれも持って来ていれば、あぁあれも⋯、と、悔やむ想いは今もなおある。
だって、もう2度と、あの思い出たちに触れることはできないのだ。
けど。
やれることをやったのは間違いない。
うん。わたしたちは、本当に、良くやった。
わたしたちが「ここまで」としてからも、最後まで遺品整理に入ったのが、父の妹である叔母と、母の弟である叔父だった。
そして、その叔父が、見つけたのだ。
最終日。
台所の棚の奥に、名のない骨壷を。
送られてきた写真には、骨壷が覗く段ボール。
内蓋部分には、黒マジック、見慣れた父の字で大きく、「2020.01.12」とあった。
父のフルネームに、弟の名前が続く。
父は入手したものにはなんであれ日付を書き入れた。あらゆる物に、入手日が書いてあった。
「母の頭のお骨だそう」弟からのLineは続いた。
妹も、弟も、父の行いを、「キモイ」と評した。
たしかに、謎ではあった。母の納骨は当然済んでいたし、散骨用の小さな骨壷は、引き継いだ弟の手元にあった。
頭蓋骨。台所の戸棚に。
人知れず、5年もそこに。
とてもとても驚いたのは事実だ。
でも、「キモイ」とは、全くもって感じていなかった。
心、いや、全身全霊に、純粋な震え、があった。
父の真意は、今となってはわからない。
けれども。
骨壷を買い求め、ひとり骨壷(本体)を開けて、頭蓋骨の一部などを移して、蓋を閉じる。
骨壷(本体)の納骨が済んでも、それはそこにあった。
同居していた妹(娘)に、決して見つかることなく。
その父の行為に、そこにあった想いに、立ち上がる物語に、胸が震えた。
愛の行為としか、思えなかった。
意味、とかじゃなかった。
胸の震えは、共鳴であったかもしれない。
それは母の死から1年前のこと。
亡くなった前夫の骨壷は、四十九日の納骨を前に、祭壇に鎮座していた。
その骨壷を、何度開けようとしたかわからない。
でも。
ご遺体が安置されていたその部屋で、
その気配がなお重く漂うその部屋で、
遺されてひとり、お骨に向き合うのは、あまりに怖かった。
自分の何かが決定的に壊れてしまうのでは、と、怖かった。
父の行いは、やりたかった、けど、わたしには決して出来なかったこと。
愛する相手を喪ったとき、遺される「その人自身」は、遺骨のみ。
わたしの場合は、10年。
父の場合は、40年もの間を、共にしていた。
唯一遺された「その人自身」に、側にいてほしい、今日も、明日も、と願うのは、
自然なことに思えた。
2025年10月。
母の7回忌に合わせて、弟妹と3人で、母の故郷である有明海に母を還した。
2026年4月。
名のない白い骨壷は、父の骨壷に寄り添う形で、納められた。
墓前には、ハート型のアンスリウムを。父の愛を具現化したような真っ赤なのと、サーモンピンクのもの。
産直に並んだのを初めて見て、これだな、とピック。逆サイには、黄色のデンドロビウム(かな、蕾がファットなバナナみたいで可愛い)を添えた。
きっと母も「面白い」と喜んでくれるだろう。父もまんざらではないはずだ。
お線香の香りのなか、施主である弟を筆頭に手を合わせた。
叔父の番が来る。
「期待しちゃってます」と、後ろから妹が声をかけると、叔父の背中は微動だにせず、右腕だけがにゅっと上がって、その手には、メモ帳があった。
パッとページを開いて、叔父が短い詩を朗読した。
今までそこにあった風景が ない だから 今そこにある風景を 楽しみたい
叔父は、母の死に際しても、墓前で詩を読んだ。
あの背中を、あの横顔を、そしてあの声を、忘れることはないだろう。
ありがとう。
そして、骨壺を見つけてくれて、ありがとう。
いや、きっと、それ以外なかった。
5人きょうだい。2番目である母と、5番目の叔父。
叔父は8つ上の母のことを、何だかんだ言っても、とてもとても慕っていた。
母もまた、愛する弟に見つけて欲しかったのだと思うし、父もまた、母と出会うきっかけとなった長年の友人に、見つけて欲しかったのだと思う。
関越から大泉で外環に入る。
低い雲立ち込める曇天の街。
後部座席に座る妹の肌が、以前のように綺麗になっていることに気づいた。
子どもの頃の彼女は、記憶の中で、いつも水のボトルを抱えている。赤い持ち手に白いキャップ、強化プラスチックの四角いやつ。
よく水を飲むからか、彼女の肌は本当に綺麗だった。
「原因がわかったよ」
肌荒れの原因は、スキンケアを変えたことではなかった。適応障害から回復したYouTuberの動画を見ていて気づいたらしい。
「人としてどうかと思うんだけど」的な前置きをしてから、恥ずかしそうな感じも見せて、
「ハンドソープで顔洗ってた時があったんだよね。あれ、アルコール入ってるじゃない?」
明日はクリニックでの面談日らしい。適応障害になって会社を休んでから、あと三週間で満三ヶ月。
いずれにせよ、「復職する、という選択肢はない」と、言い切っていたので、安心した。
「しかし本当に、この雨の中で納骨じゃなくて良かったよね」
荒川を越える。白い煙は工場からだった。
雨は、いつの間に本降りになっていた。



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