「ポータル」- 旅路の風景
誰かのニーズに応えることで、お金を頂き、食べていく、という人生を送ってきた。
デザインで、アートディレクションで、ファシリテーションで、スタッフで。
会社に勤める時代は二年、フリーランスはもう長いけど、
そのどちらも、「誰かのニーズに応える」、この根底は変わらない。
もっと遡る。
そこに立っているのは、子どものわたし。
周囲には、大きな人たち。
父母、祖父母、叔母。先生たち。
みんなみんなに、褒めてもらいたかった。
自分が生きていくことを可能にする人々。保護者たち。
そんな彼らに、
褒められるように。
えらいねと、すごいねと、さすがだねと、
そうやって、愛してもらえるように。
回るフィードバックループ。
これしたら褒められる。
こうだったら褒められる。
褒められる条件。
愛されるわたしの条件。
回るフィードバックループ。
ぐるぐる回って、ほらもう、見分けがつかない。
Own skin のように。
「細胞は約7年で入れ替わる」
であらば、それはいつかわたしの皮膚となって。
一体化。
融合。
境がわからない。
確かに、そんな道を歩んできたんだ。
That's just a way.
Nothing to be blamed.
Nothing to be accused.
だって、それが生きる道だったから。
人工の街で生まれ育った「自然」。
That's just a way.
It's just a way … till then.
目線を上げれば、四角い窓の向こう、駅のプラットフォーム。
あちらからこちらから、電車は滑らかにとまる。
ゆっくりと、やさしく。音もなく。
あちらへ、こちらへ、電車は滑らかに消えていく。
ホームにはもう、人影なく。
茶色い線路。灰色の砂利。にょきっと電柱。
枯れ草がひそやかに風に揺れている。
わたしは、大いなる実験をしたいし、している。
それは、7年前にはじまった。
自分の世界のふたつの【間 / space】。【時間】と【空間】の、大いなる拡張。
言い替えれば、「わたし」の大いなる拡張。とも言えるかもしれない。
(「世界」と表現しているが、果たしてその言葉だろうか)
はじまりは、「死」だった。
そこから続く道でありプロセスは、「苦しみ」だった。
愛する者の続く死にまつわる、内なる苦しみ。
そしてそのなかに、ポータルはあった。
(だけど、その「苦しみ」のなかにこそ、生きる歓びが、すべての美が、そこにあった。と気づくのは後のこと)
「ポータル」とは、入り口のこと。四次元ポケットのような、どこでもドアのような。直線ではない、同じ面上にはない、ひょっとしたら次元が異なる、ような、タッチポイントであり、入り口。ポータル。
そんなきれいにまとめられない。要約できない。
「その合間」に真実があって、語られない言葉にならないところに真実がある。
語彙力や表現力の問題とも言えるだろうが、これがわたしであって、これが今の真実だ。
だから、そのままに書き出す勇気を持とう。深呼吸してリラックス。肩の力を抜いて、そのままでいよう。
これだって、spiritual practice。
昨日のわたしは言っていた。ただ、この瞬間瞬間を、ただ生きるのみ。過去に生きない。囚われない。他の誰か(叔父)に言った言葉と思いきや、実は自分に言うための機会だったりするのだ。面白いなあ。
目線を、頭を上げる。
四角窓の外、駅のプラットフォーム。
また電車がやってきた。コートの裾をはためかせて坂を走り登っていた人は、乗っているのだろうか。
錆びた支柱、下がり屋根、規則正しく並んだ電灯。
ホームにはまた、人影がなかった。
二年前の春分。いや違う、旧暦の正月に合わせて、「星置くラジオ」というPodcastを始めた。
自分の生きる「時間」を拡張しようとしての試みだった。
季節の巡りとともに生きること。その変化に、意識的になれるようにと。
季節の変化とは、つまりは、宇宙の、太陽系の惑星の巡りに、意識が向くこと。
地球暦をリビングのセンターピースとし、「和暦日々是好日」を手帳とした。本棚には暦の本が増えた。
手段としてのPodcastは、ヒューマンデザインのマニフェスターである自分のデザイン特性や役割を意識してのことだった。喉を使って、マニフェストするのだ。
小学校高学年だろうか、放送委員をやり(音楽に自分の声を乗せることの、言ってみればエクスタシーは、今も身体が記憶している)、友人とラジオ番組づくり(カセットテープに録音して十数回続いた)にハマっていた。ジイジのカラオケ用マイクを天井から吊るして、ラジカセで録音した。別撮りしたCMを流し、BGMは父の映画サントラCDが活躍した。
このPodcastという試みを振り返れば、子どもの頃から発現している気質、つまりは生来のエネルギーに合っている、けれども、これもまた、「新たな枠にはめてみた」と解釈できるかもしれない。
完璧にやりたい。気づけば heavy productionにしちゃう。「こうでありたい」、「こうであってほしい」、が重なっていき、その営みは重いものとなって、半年続いたけど、10月くらいだったろうか、そっとやめた。
もっと身軽にいこう。
Lighly, lightly, ever lightly.
It's just another play, wonderful play, なのだ。
時空間の拡張、に話を戻そう。
このMARIPOSAで扱っているヒューマンデザインだって、宇宙の、太陽系の惑星の巡りに、意識が向くこと、の手段というかツールのひとつだったりする。
これらの様々な試みの経験を辿って、少しずつ歩んできたその道の先で見えてきた景色は、確かに、変わっていった。
もうその記憶は薄れてきつつあるが、
7年よりももっと前、私の世界は、いわゆる「社会」とイコールだった。
仕事、キャリア、評価、稼ぎ。平面な世界。
成長への囚われにめくるめく好奇心、マインドの大活躍。
五感を通してわかりやすく実感できる物事が、つまりは、見えるもの、確認できるもの、が、わたしの世界、わたしが存在する空間の限界だった。
時間。時間とは、びっしりと埋めるものだった。絶え間なく動き、生産し、思考し、配って、無駄のないように。成長のために。
未来とは、今日の努力の結果であり、過去とは、恥ずべき、または誇るべきもので、でも同時に、生きてきた証であり、宝物でもあった。
フリーランサー、しかも、「わたしの時間」にはプライスタグがついている。
歴史とは、有史以来。いや、正直なところ、産業革命以降の過去200年くらい。いや、大正後期スタート、くらいかもしれない。
わたしは、平面の人間社会という空間を世界として、たった200年と言う時間を生きていた。
それが全てだった。たぶん。
そしてその世界で、「死」は遠い遠い向こうにほのかにある知らない何か、だった。
友人やお世話になった人を亡くした経験はあれど、自分という存在が揺さぶられるほどの死は未経験だったから。
その世界に、ある日突然、「死」が現れた。
しかし、死を言葉にするのは難しいことだ。
体験ベースで言葉にしてみよう。
それまでは、死んだら終わり、くらいに思っていたと思う。
でも、実際にそれが起こったら、
10年を共にした夫を亡くしたら、
とてもそんな事実は受け入れられなかった。
悲嘆とともに、大いなる旅がはじまった。
何人もの霊媒師に会いに行った。
わたしの内で膝を抱えて顔を上げない「あの日のわたし」に会った。
彼の魂を海の向こうへと送った。
「彼の言葉」を聞いた。聞けなかった想い、知れなかった胸中、見れなかった心象風景。
Unfinished business, コルクボードにピン留めで宙ぶらりんになっていたひとつひとつに、心を寄せて、寄り添って、抱きしめて。バラバラになったわたしを、ひとつひとつ、再びひとつになっていく、そんな営みだった。
そのうち、明晰夢を見るようになった。夢の中で意識を持って死した彼に再び会い、伝えられなかった愛と感謝を表明することができた。彼からやってきたのは、言葉ではなくエネルギー。無限で無条件、絶対の愛だった。
それはあまりに、大きな体験だった。わたし、を、超えていた。
続く母の看取りと死、そして父の突然の死。存在としての大黒柱だった祖母の死。実家も祖父母の家もなくなった。
7年の月日。
生命のおわりと、その後について、あるときは非常なる厳しさのなかで、あるときは緩やかに、だけど、日々、向き合ってきたのだと思う。
幾人ものコーチに支えられてきた。
ファシリテーター仲間にも、友人にも、家族にも。人類の叡智にも。
それらのすべてが今、溶け合い、融合して、
わたしはここに立っている。
大いなる旅路から受け取ったのはあまりに大いなるものだった。
いっときは、そこからなにか、線形に直接的に、生み出さなければと囚われていた。
それは今も、おそらく続いている。
だけど、「囚われている」ということに、今は気がついている。
15時半。影は伸びて、ホームには斜めの光が差し込んでいる。
暗い夜、見上げる星空に、その空間を、その時間を、感じる。
シリウス、スピカ、北極星。あの星たちの瞬きが、遠い遠い「間に在る」であることを知っている。
瞬かない木星の眩しい輝きに、その近さを、親近感を感じている。
北極星の右には北斗七星がその姿をすべて現す。
冬の終わりがもう近い。
1871年。ハッブルが望遠鏡で天王星を発見したとき、人間のエネルギー構造が変わったと言われる。
星を見上げるわたしのエネルギーも、どこか変わったのかもしれない。
わたしの存在は、いつしか、200年の時を越えていた。
死した彼らは、今も「ここ」にいる。
言葉では形容できない、絶対的な存在感として、目には見えない土中の微生物たちの大きなネットワークのように、緻密で奇跡的で美しい糸のように、わたしという存在を支え可能にしている。
そうだ。
彼らの存在が、わたしのfoundationでもあるんだ。
彼らの存在を、その絶対的な愛を、感じている。頬に当たる風のその柔らかさを疑うことはないように。
そこには、たぶん、love と trust と呼べるものがある。
「わたしのfoundationはなんだろう」
この問いに照らし出されるその深みを、具現化したい。
ここ最近は、そのレンズで、外なる世界を、内なる世界を、見つめていた。
(foundation - これもいつか自分の言葉にしたい)
今日のリトリート。
外なる歩みを止めて、ポータルを抜けひとり歩く内なる世界。
微細に揺れる湖面を歩くような、そんな歩みにふっと現れた、その問いのいわゆる「答え」ではなくて、その問いに、呼応するもの。
わたしの foundation。
そのひとつは、死した彼らの存在だった。
それは光と色彩豊かなひとつの「界」とでもいうもので、生命のネットワーク、愛の光彩、愛の波、とでも言うイメージのなかに、浮かんでいた。
あぁ、これもまた、そのひとつだった。
時間と空間。
わたしという身体的存在が、物質として置かれている時空間と、わたしというエネルギー的存在が在る時空間。
これも、foundationだ。
ということが見えてきた、月曜日の午後だった。




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